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死について30

以前この連載の中で、医療の進歩に伴う「死に方」にまつわる問題を議論しました。
今度は視点を変えて、「命の選別」の話をしようと思います。

まず、必ず思い出す問いがあります。それは、日本のある医学部受験向け予備校で講演を頼まれたときに、講演後の質問会で塾生から向けられたものです。「胎児はいつからが『人間』なのでしょうか?つまり、人工中絶が殺人ではないと言えるのはいつまででしょうか?」と。
この質問を受けた瞬間、真っ先に私の頭に浮かんだのは、もし、自分のお腹の中に例えば脳がない胎児がいるとわかった瞬間、お腹の中の子は自分にとって何になるのだろう?という問いです。私は母親になったことがないので想像でしかないのですが、多くの場合、妊娠がわかって自分のお腹の中の子供を思う時、その胎児は一人の人格のある人間と認知されているのではないでしょうか?そして、その子供に脳がないと分かっても、母親にとっては変わらない存在なのか、それとも変わるのか?それが脳である場合と心臓である場合と感じ方は変わるのだろうか?母親と父親では感じ方は違うのだろうか?・・・受けた質問以上の問いが頭を駆け巡りました。

結局、以下のようなことを考え考え述べました。
「回答は一つではないでしょうね。個人個人によって、国、宗教、時代、様々な状況によって変わり得る答えであり、ましてや同じ人間でも、同じ回答を持ち続けるかどうかも分かりません。一般的には日本では23週以降は外界で生命活動が営めると判断されて人工中絶は認められていないですが、それは社会や医学的発展が決めた枠であって、それが正しいということでも絶対ということでもないと思います。『その人が、その胎児が一人の人間だと思った時、そうなのだ』としか言えないのではないでしょうか?」と。
実はどうも医学部の面接試験で質問される内容だったらしいですが、果たして私は合格できたのか、分かりません。

医師 医師 元田 玲奈