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死について33

このメルマガコラムで「死について」を書き始めて、今回で33回目。医者になってからの約20年の中で、実体験や見聞きしたことについて、今の自分の正直な想いを述べてきました。中には答えのない議論もありましたが、現時点で語りたかったことはほぼ全て出し切った感があります。

我々は産声を上げた時から死に向かっています。自分の死が近づいていることを自覚する時期は人それぞれだとは思いますが、「生きる」ことに夢中である時には、通常は死を身近に感じることはほとんどないかもしれません。できていたことができなくなるのを意識することもなく、自分の言動の意味づけに迷うこともなく、あとどれだけ自分でいられるのだろうと考えることもあまりないでしょう。これらのことを感じ始めた時、すなわち、人生の中で「死」を意識し始めた時、人は何を感じ、その気持ちにどう折り合いをつけるのでしょうか?

生命科学が進歩した現代でさえ、どうして生物が死ぬのかは説明できません。眼に見えているものが全てだった時代、この現象は不思議だったと思います。さらには、自分もいつか同じように死ぬのだと思ったら、それは恐怖にもなったでしょう。実際、あの105歳で亡くなられた日野原先生は、最期まで「死ぬのは怖い」と仰っていたそうです。おそらく、この気持ちの根源は、「抗(あらが)えない感」ではないでしょうか?「死ぬ自分」を心底受け入れられるのなら、本来は怖くないかもしれません。先生の場合、裏を返せば、それだけ「生きたい」気持ちが強いということでもあり、「怖い」と感じていることは生きている証でもあります。さらに先生は、死ぬのが怖い自分を「新しい発見」と捉えられ、その恐怖をも「生きている」現実に転じているようでした。まず、死を怖いと感じる気持ちに抗わないことが肝要なのかもしれません。

死について考えることは、生きることを考えことでもあるな、と思います。あらゆる生物に訪れるという意味において死ほど平等なものはなく、我々は死を携えて生きています。その事実に向き合った時、「今」の人生が違って見えてくるのではないでしょうか?

医師 元田 玲奈