今回は、少し医療から離れますが日本語の特殊性からお話を始めようと思います。
中学の頃、オランダ語を習得した福沢諭吉が上京して英語の看板が全く読めなかったが、数年後には英語をものにしたという逸話を読んで、「数年で!」と驚いたことをよく覚えています。後年、オランダ語の教科書を手にする機会があり、ヨーロッパの言語の中でもオランダ語と英語がかなり近い関係にあることを知って種明かしを見た気がしました。また、ラオスを旅行した時に当時習っていたタイ語が通じたのに驚き、帰国後にラオス語はタイ語の東北方言とほぼ同一であることを知りました。こういった経験から言語に興味を持つようになり、日本語を含めた言葉の成り立ちや他言語との関係に関する本を一時期読み漁りました。その結果、日本語は他の言語との関係性がはっきりしない「孤独な」言語であることがわかりました。大野晋のタミル語起源説(バスでタミル系の人が話すのを聞いていると、直感として理解できます)も学問的には認められていませんし、ビルマ語のゆるさや韓国語のカタチは日本語と瓜二つであると感じますが(助詞の重ね方などホントに)、系統的には「親戚」には当たらないそうです。
といった具合で、日本語は他の言語との関連性に乏しい上、異なる文字体系が3種類(ひらがな、カタカナ、漢字)があり、漢字も単純に音読み、訓読み(中国文化圏の国では多くの漢字が音読みしか残っていません。たとえば韓国語の「山」の読みは漢語由来の「SAN」のみで「やま」にあたる訓読みはない)だけではなく、慣用的な読みの多様性があり日本語環境で育ったとしてもなかなか難しいです。さらに圧倒的なオノマトペ体系(トントンとドンドンの違い、ぐちゃぐちゃのニュアンスは日常的に使っていないと厳しい)などから、日本語は母国語として取得するのに他言語より2、3年は余計にかかると言われています。実際、日本の小学生は毎日漢字を2文字ずつ学校で習ったうえ、帰宅後も数ページをびっしり書き込み、定期的なテストで復習を重ね、中学生になってようやく一般書や新聞が一応読めるようになります。このように日本語の習得に多大な努力が必要であることは、海外で子育てをする上でしっかりと認識しておくことが大切です。たとえば、インター校やローカル校に通っている子どもが親御さんと違和感なく日常会話ができていたとしても、それで安心せず読み書きについても常にアンテナを張っておく必要があります。学校の宿題と合わせて大変にはなりますが、日本人学校補習校や国語を補助してくれる日系の学習塾に通うことにより、レベルを確認しつつ欠けているところを補う必要があります。一般には2か国語以上の言語環境下でも言葉の発達を阻害しないと言われていますが、先ほど述べた特殊性を考えると日本語に関しては事情が異なると個人的に感じています。
とりわけ、もともと言葉の発達が遅いお子様の場合は日本語環境に統一することが重要と考えます。母国語は、単にコミュニケーションの手段にとどまらず、思考や計算といった頭の働きの基礎を支えているもので、パソコンでいえばOSのようなものです。母国語があやふやなままで英語だの中国語だのが入ってくると日本語の習得を妨げる可能性が高くなります。
もし幼稚園を考える段階で明らかに言葉の理解や表出が遅れているようでしたら、日本語環境にどっぷり漬けてあげることをご検討ください。母国語の理解を確実にすることが、結果的に英語など外国語習得の早道にもなります。(この点については、稿を改めて次回お話しします。)
また、言葉の遅れといっても、音に対する反応や理解と表出の差、社会性などによって対応が異なってくるので、ご心配がある時は小児科にてご相談ください。ブギス本院、オーチャード分院とも予約制で、時間をしっかり確保してじっくりとお話を伺います。
医師 長澤 哲郎