旅行前の歯科検診はなぜ必要?飛行機と歯の痛みについて 
2022年4月26日
学童の近視治療 いつやるの?今でしょ!4
2022年5月17日

ことばの習得3

前回まで、日本語の特殊性や他の言語より習得に時間がかかることを踏まえ、日本人の子どもがことばを習得していくうえで注意すべき点をお話ししました。今回は、外国語である英語とのかかわり方について触れてみようと思います。

(国籍に関係なく)最初に習得する言葉である「母語」は、外の世界を理解したり、ものを考える上で極めて重要な位置を占めます。両親ともに日本人でいずれは日本で高等教育を受け、日本で働くことが想定される子どもの場合、母語を日本語に定める必要があります。繰り返し述べてきたように、日本語は読み書き含めて非常に複雑な言語であるため、このことをあえて意識しておかないと大きくなってから日本語で苦労することになります。残念ながら日本の社会は少しでもおかしなところがあると敏感に反応します。1、2年で帰国される場合は、インターやローカルの学校でどっぷりと英語漬けとなり日本語が怪しくなっても、本帰国後1年もすればすぐに追いつくので大きな問題になりませんが、長期にわたって滞在する場合および言葉の遅れがみられる場合には注意が必要です。

そもそも子どもが英語を自由に話せると言っても、それが将来学術書を読み込んだり契約書を1語1句、正しく解釈することには直接結びつきません。そのような緻密な読み取りには、母語としての日本語を利用して文法的にぶれのない解釈をする必要があります。私が以前アメリカで研究留学をしていた時、日本人の上司の発音は典型的なカタカナ英語でしたが、常に最新の論文を誰よりも多く読み込み、臨床・研究ともに病院で一目置かれる存在でした。もし彼がネイティブの発音で英語を話すことができたとしても、母語である日本語を使って頭の中で組み立てた論理が有用でないと判断されたら誰も見向きもしないでしょう。国際結婚で家庭内外で2か国語に触れる機会がバランスよくあり、どちらの言語でも均等に「思考」できる状況でなければ、言い換えればこれを読んでおられるほとんどの家庭では、英語そのもので高度の知的作業をさせることが難しいため、考えるベースとしての(=PCで言えばOSに相当する)日本語をしっかり身につけることが重要になります。この点があいまいなまま家庭でも英語を使い続け、英語の方が日本語より若干得意だがどちらも中途半端になっているお子さまの相談を受けたことがありますが、日本語の話し方が拙いだけでなくこちらの問いに適切に反応することが難しく、考える力の根源としての「母語」が身についていないとはこういうことかと実感したことがあります。親心をくすぐる「バイリンガル教育」という広告が巷に溢れていますが、母語を意識せずに突き進むのは弊害も多いのではないかとかねてから感じておりました。しかし、学者の世界では2か国語を同時に学ぶことは(最終的に)お互いに足を引っ張らないという定説もあって、母語に重点を置くことはひとりよがりの考えであるかもしれないと長い間すっきりしない気持ちが続いていました。シンガポールに来てから幼児教育に携わる先生方とお話しする機会があり、はからずも海外にいるからこそ母語である日本語を大切にする必要性を述べておられたのを聞いて、我が意を得たりと心中膝を打ちました。また、昨年ベストセラーになった「英語独習法」の中で乳幼児の言語獲得研究の第一人者である今井むつみ先生が「幼児期に他の子どもに先んじて少しの英会話ができるより、成人になってから英語をプロフェッショナルレベルにまで極めていける術(すべ)を身に着けた方が、最終的には絶対に有利なのである」(同書178ページ)と書かれているのを読み、この「極めていける術」がまさに母語をつかった思考能力や言語運用力なのだと合点がいき、本稿をまとめる勇気をいただきました。私自身、中学から英語を学び始め大学ではじめて海外旅行に行ったくらいなのでヒアリング力や会話能力は惨憺たるものですが、連日保健省から来るコロナ細則のメールや学術論文を正確に、つまり「唯一の解釈で」読むために「このandは直後に接続詞thatがきているので2行上の同格であるthat節とをつなぐ解釈以外ありえない」といった具合に、受験生時代に根を詰めて勉強し日本語を通して学んだ英文法の知識を総動員しています。

誤解しないでいただきたいのは、ローカル校やインターといった英語中心の学校の意義を否定しているわけではなく、そういった学校で英語を使いこなしつつ日本語も補習校や自宅学習で十分学年相当のレベルを維持している器用な子どもたちもたくさん見てきたので、状況によってそのような選択肢も良いと考えています。なにより、英文や会話に対する心理的敷居が低くなることは大きなアドバンテージになりますし、どのような方針をとるのかは、お子様や家庭の事情によってそれぞれ考えればよいと思います。ただし、言葉が明らかにおくれている場合は日本語にフォーカスして、まず「ことば」という概念を早く習得することが重要ですし、インターに通い家庭では日常会話が普通にできていても漢字がちょっと入っているとスムーズに読めないというケースも見受けられるので、母語としての日本語という視点を時には意識していただきたいと考えています。中学・高校で漱石が寝転がって読めるなら心配ないと思います。

そもそもシンガポールで生活しているだけで、日常的に英語や中国語が耳に入ってきます。子どもの耳はそういった発音を敏感にとらえることができ、その能力は生涯にわたって持続します。自宅で英語の番組を強制的に流す(スクリーンタイムが長くなることの弊害がでますが、これは稿を改めて論じます。)といった英語漬けにしなくても、シンガポールに住むこと自体で日本の子どもたちに比べて英語に関するたくさんのボーナスが付きます。したがって、早くから英語、英語と焦る必要はないという気がします。今回の内容は、私の個人的な思い入れの部分も多く、そんな考えもあるな、くらいに受け止めていただければ幸いです。

参考文献:岩波新書1860 今井むつみ著「英語独習法」

医師 長澤 哲郎