母子手帳は、第2次大戦中の1942年にその原型ができたとされており、80年近くの歴史があります。世界的にもその有用性が認められて、1990年代以降はアジアの国を中心に採用する国が増えています。先日、ヨーロッパのある国で生まれたお子様が、親御さんのスライドで私の外来にいらっしゃいましたが、母子手帳のようなまとまった記録はないとのことで軽い戸惑いを覚えました。親御さんが持参していた情報をもとになんとかワクチン記録を再構成しましたが、全ての情報が一覧のもとにわかる母子手帳のありがたみを改めて感じたできごとでした。(その後、日本の母子手帳を準備していただいたので、現在は乳児健診・ワクチンともそちらに記録させていただいています。)
別の日、乳幼児健診で受診した子どもの予防接種欄を見たら、接種日がきっちりと2か月0日、3か月0日という感じで、そのワクチンが接種できるぎりぎりの日程で接種されていました。親御さんに聞くと、渡航前にできるだけワクチン接種を済ませて送り出そうと、かかりつけの小児科医が日にちを調整してくれたそうです。必要事項以外は何も書いてありませんでしたが、行間にその先生の心意気を感じて、母子手帳は子どもをサポートする多くの人たちのバトンのようなものだと思いました。そう考えると、私も本帰国後にこの母子手帳を見るであろう先生に対して、「6種混合=DPT/ポリオ+ヒブ+B型肝炎」と、日本にないワクチンの説明を欄外に記入したりすることはよくあるので、これもバトンのひとつと言えそうです。転勤族でワクチン接種のサインがばらばらであったり、時には国境をまたいでいくつかの国の小児科医が関わった母子手帳もあります。そのような母子手帳を見ると、多くの方がつないできたバトンをしかと受け止めて次につなぐ責任を感じると同時に、そのリレーに参加させて頂くささやかな矜持を持つことができます。私事で恐縮ですが、私は小児科医になった時に自分自身の母子手帳をなにげに開いてみて、はしかにかかった年齢と治療の内容が記載されていたり、体重と身長がこと細かに記録してあったのを見つけて軽い衝撃を覚えたことがあります。多くの先生や看護師さん、保健婦さんたちが引き継いできたバトンを、最終ランナーとして自分自身が受け取ったという実感がありました。さらに、余白には亡母の言葉を見つけるという、サプライズプレゼントも入っていました。
もちろん、母子手帳の基本は出生時や成長の記録、ワクチンの証明など医療や社会生活上必要な情報ですので、実用的な側面がもっとも大切です。たとえば、低身長で受診された場合は身長の経過を母子手帳で確認することが第一歩ですし、昨今ビザ申請や入学手続きなどワクチンの記録の証明を求められる機会は増えていますが、母子手帳の予防接種ページは英文併記のため世界中どこへ行っても立派に通用します。最近も医療従事者のワクチンがしっかりなされているか保健省からのお尋ねがありましたが、職員の日本の母子手帳の写しを提出して受理されています。しかし、母子手帳にはそういった実用上必要な情報のみならず、子どもを見守る多くの方々の思いもぎっしりと詰まっています。二つの意味で大切な記録ですので、小学校以降も予防接種の際には持参して記録が途切れないようにするとともに、成人してからもずっと大切に保管していただきたいと思います。
今日はどんな思いの詰まった母子手帳を開くことになるのか、毎日楽しみにしています。
医師 長澤 哲郎